秋山徳蔵、気の短い夫を支え続けた2人の妻と俊子の形見の鈴

春の景色「菜の花と梅」

天皇の料理番、東京での料理修行が始まりましたね。

下働きの大変さと大事さを身をもって知った秋山徳蔵

その徳蔵の帰りを待ち続ける、家族の姿も、それぞれの思いがあるのでしょう

いよいよ、来週は黒木華さん演じる妻、秋山俊子が東京に出るようです

父親に離縁を進められるも、押し切ってまで東京の徳蔵に会いに行くのは、どうも、お腹の中の赤ちゃんが理由のようですけど

実際には、このお2人の結婚は、もう少し先の話のようですよ

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秋山徳蔵・俊子の結婚はフランスから帰国後でした

秋山徳蔵は1909年(明治42年)から、本格的なフランス料理を修行するために、親からお金を借りてフランスのパリに私費で渡仏しています

ご実家が裕福だったからこそ、まあ~実現できた夢なんでしょうね

とはいえ、日本人が海外で修行するのには、想像が出来ないほどの苦労もあったん時代。

それでも、フランスで料理人として成功した秋山徳蔵さんに、日本大使館から大きな仕事が依頼され、大正2年(1913年)3月に日本に帰国

大きな仕事とは、大正天皇の即位大礼のための料理ですから、日本人シェフとしては最高に名誉な話です

そして、この同じ年の7月、徳蔵(24歳)は、秋山俊子(17歳)と結婚し、秋山の姓を名乗ることになったのです。

俊子の死と岸本きくとの再婚そして子供たち

徳蔵と俊子の間には、

・大正3年(1914年)1月に長男・秋山匡

・大正5年(1916年)3月に長女・秋山栄子

・大正9年(1920年)5月に次男・秋山鉄蔵

3人のお子さんに恵まれたそうです。

でも、昭和3年(1928年)1月、妻、俊子が肺結核のため亡くなりました。

その後、
昭和4年(1929年)2月「岸本きく」と再婚

・昭和4年(1929年)11月に三男・秋山三郎

・昭和11年(1936年)8月四男・秋山四郎

4男1女の父親にもなった天皇の料理番

でも、子供さん達が、父・徳蔵の後を継いだといった話は、どこを探してもわかりませんでしたから、どなたも料理人にはならなかったかもしれませんね

気の短い男が見せる妻への愛情

天皇の料理番「秋山徳蔵」

秋山徳蔵さんは、最初の妻「俊子」さんを、

「忘れ得ぬ2人の婦人」として、貞明皇后と妻・秋山俊子の名前を挙げるほどですから、ものすごく愛していたんでしょうね。

肺結核で自宅療養中の俊子の病状が悪化するにつれ、自力で痰を吐きだすことが出来なくなれば、徳蔵が口で痰を吸い取ってあげていたそうですわ

肺結核を患っている人の痰を吸うなんて、深く相手の事を思っていないと出来ない事です。

ものすごく短気な性格!が欠点の夫を心配する妻

夫、徳蔵の短気な性格を心配する俊子は、死が近づくある日、秋山徳蔵を枕元に呼んで、お願い事をした事があります。

「たったひとつ、心配なのは、貴方が癇癪(短気)でいらっしゃることです。

貴方のお仕事は、本当にこの上ないお仕事です。

お願いですから、役所へいらっしゃるとき、坂下門をお入りになる時に、この鈴を鳴らして下さいませ。

そして、私が心配している事を思い出して下さいませ」

そう言って、財布につけていた鈴を秋山徳蔵に渡したのです。

妻、俊子の死後、抜け殻のようになってしまった徳蔵は、忌中の35日間は仕事を休み、家に引き籠ってしまったのです。

2人の妻の愛情に支えられた料理人

秋山徳蔵さんは、かなり切り替えの早い性格だったようで、これは、ドラマの中で佐藤健さんの演じる秋山徳蔵を見ていてもわかります

この切り替えの早さが、最愛の妻、俊子をなくした後、再婚までの時間が早かった理由かもしれません。

天皇の料理番として、神経を張りつめて仕事をする男性を支えるために、2人の妻達の生き方は、現代の女性達にはない逞しさと、心の柔らかさかもしれませんね

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