竹鶴リタの生涯。差別とスパイ容疑を乗り越えたマッサンとの愛の人生

日本髪の竹鶴リタ

連続テレビ小説のマッサンが始まり、今日はマッサンとエリーの出会いと馴れ初めに感動してしまいました。

国際結婚に反対されるご家族とのやり取りに、これからお二人で乗り越える姿が楽しみです。

エリーさんのモデルとなってる「竹鶴リタ」さんが、海を越えてまで貫いた愛

この先、大戦が待っている時代に外国人だということで戦時中はかなり大変な思いわされたようです

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竹鶴リタ、日本で生きていく強い意志と深い愛情

夫マッサンの夢を後押しをし日本にやってきたリタさん。

マッサンが日本に帰らず、リタさんとスコットランドの地で生きることを決意した時も

「私たちはスコットランドに留まるべきではありません。マサタカさんは大きな夢に生きていらっしゃる。わたしもその夢を共に生き、お手伝いしたいのです」

大きな愛情で一緒に日本で生活する決意をされたのですね

文化も外見も全く違う日本での生活は、今を生きる私たちが想像するよりもかなり大変だったでしょう

それでも日々の努力を惜しまず、日本の文化を吸収しながら、誰よりも日本人らしい日本人になっていったリタさんだったそうです

外国人だから疑われた戦中の辛い日々

りんとして雪景色

しかし昭和15年以降、戦争のため抑留こそなかったものの、連合国の潜水艦に無線で情報を送っていると疑われ、警察に尾行されスパイ容疑をかけられるなどつらいことも多く

「この鼻を削りたい。この目の色も髪の色も日本人と同じように黒くしたい」

そう嘆く日々だったそうです。

結婚と同時に日本に帰化したとはいえ、鬼畜米英と叫ぶ時代に生きていくのは想像を絶する辛さだったに違いありません。

そんな激動の時代を生き抜いたリタさんは1957年にこう書いています。

「年老いていくのは寂しいこと。でも私は、人生を自分の意思で切り開いたことを憶えておこうと思う」

自分の意思で人生を切り開き、どんなときにも愛情を持って生きてきたリタさん

このリタさんの生き方が、周りの方々の人生にも大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。

64歳で夫マッサンに最後を看取られ日本人として最後まで生き抜いたリタさん

マッサンはリタさんの死後、悲しみのため、2日間も部屋に閉じこもり、葬儀の準備も火葬場にも行けないほどだったそうです

竹鶴政孝、リタの深い愛に抱きしめられる日を待つ

余市蒸溜所を見下ろす美園町の墓地に建て、政孝(マッサン)は、墓に自分の名前も一緒に刻み、あとはご自分の死後、日付を入れるだけにされたそうです

リタさんと、あの世で会える準備をされてたのかもしれませんね

運命と愛で結ばれたお二人の事ですから、今も天国で寄り添っていらっしゃるわよね

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